カンボジア留学中です。
喜怒哀楽の激しい自分ですが、カンボジアで
体験したことを素直に書こうと思います。
Don't stop, just go forward little by little

2008年3月31日月曜日

女は女である ច្បា់បស្រី

20数年間を女として過ごしてきました。
いつ、赤ちゃんから子供になって、少女になって大人になったのか覚えていません。
もちろん年齢のうえでは決まっています。
でもほんとうの成長は人それぞれなのではないでしょうか?

女としてどう生きていくのか、ということをたまに考えてしまいます。
周りには、
誰かの奥さんとして生きている人がいます。
もう子供を産んでいる人もいます。
すでに離婚している人もいます。
仕事を2、3年続けている人がいます。
学生である人もいます。
この年齢はとても中途半端です。

ところで、女は、子供を生んでも生まなくても、母親のような姿を求められます。
あたりまえのことかもしれないけれど、それでも女は女です。
甘く見ると怖いです。
それでも社会は母親であり、おとなであること女に求めるでしょう。

日本でもカンボジアでもそれは同じ気がします。
ただカンボジアはそれがあまりにあからさまなので、わたしはそういうところが嫌いです。
社会の女に対する視線が厳しすぎると思います。

ひとつの疑問。
なぜカンボジアの男性は堂々と浮気をしていても、奥さんや彼女に悪いと思わないんだろう。
なぜ奥さんや彼女が自分を許してくれると思えるんだろうか。
わたしはうんざりです。
女の愛は一つしか認められず、男の愛は広く浅い?
たくさんの女の人と浮気しているだんなさんを知っていますが、奥さんは全部気づいていると思います。
奥さんはわたしのともだちでもあったので知ってしまってつらいです。
ちょっとカンボジア男性不信になりそうです。...........:(
(もちろんすべての方がそうでないのはわかっていますよ)

豚肉 សា់ចជ្រូក

いつもうらやましく思っていることがあります。
それは、カンボジアの女の子たちの体の細さです。
まずみんな背が小さいですよね。
それになんであんなにお尻がちゃっちゃくて、腰もほっそりしているのでしょう。
以前、ワゴンでプノン・クーレンに出かけたときに、ぎゅうぎゅう詰めになって車にのりました。
わたしだけが幅をとっていて悲しかったです。
申し訳なかった。

わたしは豚肉です。
ほんとうに豚です。
さんざん言われますし。
向こうでやせったって言われるように山ごもりしなくては。

時代のくぎり

「キリング・フィールド」のモデル死去 65歳

ディス・プラン氏
ニューヨーク(AP) 映画「キリング・フィールド」でカンボジア人助手のモデルとなったディス・プラン氏が30日朝、すい臓がんのためニュージャージー州の病院で亡くなった。65歳。同氏が働いていた米紙ニューヨーク・タイムズの元同僚が明らかにした。

プラン氏はカンボジア生まれのジャーナリスト。1975年、プノンペンに来ていたニューヨーク・タイムズ記者のシドニー・シャンバーグの通訳兼助手として働き、同記者とともにカンボジア内戦を取材した。

シャンバーグ記者はポル・ポト派によるプノンペン陥落の際、プラン氏の家族の脱出に尽力したが、プラン氏を残して立ち去るしかなかった。

しかし、プラン氏はポル・ポト派による大虐殺を生き延びて、2人は4年半後に再会。その後、プラン氏はニューヨーク・タイムズのカメラマンとして活躍した。

米国へ移住後は、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の親善大使を務めたり、ポル・ポト派による弾圧を受けた人々の支援団体を立ち上げた。

シャンバーグ記者は、プラン氏の体験を描いた「The Death and Life of Dith Pran」を雑誌に寄稿。この記事は1976年にピュリッツァー賞を受賞し、その後の著作「キリング・フィールド」の原点となった。

同書はローランド・ジョフィ監督、サム・ウォーターストン主演の映画「キリング・フィールド」となり、米アカデミー賞の7部門でノミネートされた。プラン氏を演じたカンボジア難民のハイン・S・ニョールが助演男優賞を受賞するなど、3部門で受賞した。

プラン氏のすい臓がんは、約3カ月前に判明。プラン氏の訃報を聞いたシャンバーグ氏は、「彼は、真実と人々のために戦う、本当の記者だった。がんが彼を襲ったとき、自分の人生のために、再び戦いに挑んだのだが」と、その死を悼んだ。


ずっとアメリカで暮らされていたんですね。外国人にとってなじみのある、カンボジアに関連する映画とは、まずこの『Killing field』なのではないでしょうか。
わたしは高校生のときに1回、大学生のときに1回、計2回くらい見ています。
この人の死によって、時代の区切りを感じます。

Kreva あかさたなはまやらわをん កុេរ៉បា អា កា សា តា នា៉ ហា មា៉ យា៉ រា៉ វា៉ អួ ន



よければ聞いてみてください
歌詞がいいです。
日本語って面白いです。

ネコはニャー  NEKO WA NYA-
いぬならわん INU NARA WAN
象はぱおーん ZOU WA PAOON
らいおんがおーん LION GAO-
僕たちは人間だもん あかさたなはまやらわをん BOKUTACHIWA NINNGEN DAMON "A KA SA TA NA HA MA YA RA WA WO N"

Kreva says,

Most animals speak with only one voice.
They can not express their minds by their conversation.
They don't have their words.
However, we are humans.
So We have many wonderful and useful words for taking fluent communication for each other.
Now, maybe we don't have to use own eyes, mouth, hands for conversation because of the presence of the excellent electolic machine.(MOBILE PHONE, RADIO, WEB-MAIL etc)
For example, we can speak for a long time by mobile phone regardless of seeing faces of each other.
What a convenient world!

However, please don't forget the important things.
We are humans.
Even if we can use very useful machines for our lives completely , they don't teach us LOVE at all.
If we meet us together, and speak many things, maybe some miracles will occur.

ということで、まずは
Let's go Ohanami-!!!

2008年3月29日土曜日

全方向からながめる

今日は昨日に引き続き、派遣のアルバイトをしました。
今日は事務仕事。
といってもパソコン入力ではありません。
ひたすらボールペンを使って文字を書く仕事でした。
けっこうつかれて今眠いです。

最初は気がすすまなかった派遣のアルバイトでしたが、新鮮な毎日です。
ずっとこの場にいようとは思えませんが、多くのことが学べているような気がします。
今やって正解だったと思っています。

わたしは今、指示をうけて動くほうの立場にいます。
やってみて、仕事をうける側の気持ちがよくわかるようになりました。

2008年3月27日木曜日

個人情報 Personal data?

今日は「引っ越し屋さん」になってきました。
また例の派遣のアルバイトです。
荷物運びと、引っ越しと引っ越しの間の移動時間が長かったのがちょっとしんどかったのですが、なかなか楽しい一日でした。
社長さんとその息子さんと一緒にチームをくんだのですが、チームプレーの良さはさすが親子です。
やりやすかったです。
これは次もできる仕事かもしれません。。
某研究学園都市をめぐり、爆弾ハンバーグとか、ン、なんやら見覚えがあるような。
まあ母親の実家がこの県にあるのでなじみぶかいです。

ところで、2件目のおうちがなかなか見つかりませんでした。
住所が書いてある紙をみながら、周辺を探したのですが、いっこうにわかりません。
それはなぜか?

表札には名前しかのっていないからです。
古い家だと名前と一緒に住所がでています。
しかし、真新しい家だとだいたい名字しかのっていません。
おかげで町内を車で30分以上ぐるぐるまわることになりました。
着いたのはなんてことはない、最初に見かけた家でした。
ほんとうに(社長さん)が苦労しました。
みんななるべく情報を隠すようになりました。
そういえば、うちも名字しかのせていないのです。

他の国でも既にそうかもしれませんが、このように日本において個人情報の管理がより厳しくなっていっています。
それは銀行や市役所、学校でも感じることです。

例えば、以前は(7、8年くらい前まで?)学校を卒業する場合、卒業生の名前と電話番号、住所が入った名簿が、全員に配られたものでした。
しかし、今はあまりそういうものを配りません。
なぜなら、なかにはその名簿を業者に売ってしまってお金をもうける人(卒業生!)がいるからです。
悪用された例があったようです。
紙での管理はこのためどんどん厳しくなっています。

一方でネットのほうはどうなんでしょうか?
安易に情報が入力され、管理されているように思います。
携帯サイトで無料ゲームのサイトなどがありますが、契約するときの注意事項をよく読んでみると「ただより怖いものはない」という気持ちになります。
よく読んでください。
「お客様の個人情報を他社に譲歩する場合がございます。」
って書いてあったりしますから♪♪♪
こわっ!
いやだよっ!
みんな知っているのか?
平気なのかな?

yahooのメールなどを携帯でみるときに、「携帯端末情報を送信しますか? はい、いいえ」の質問がでます。
昨日まではいいえを押してもログインできたような気がします。
けれども今日からは、はい、をクリックしないとログインできなくなりました(気のせい?)

なんだか感覚がまひしてきます。
ネットって。
こわいこわい。
毎日すごい量の情報がとびかっているんだろうなああ。

「中韓、カンボジア投資白熱 経済成長年10% 」についての疑問

中韓、カンボジア投資白熱 経済成長年10%
出遅れ日本に現地ラブコール


カンボジアの観光産業を支える遺跡、アンコールワット(ブルームバーグ)
 年率10%近い経済成長でアジアの“ライジング・スター”とも称されるカンボジアへの投資熱が高まりを見せている。産業の多角化や外資誘致で成長を目指す同国に対し中韓企業が投資を拡大させている一方で、タイやマレーシアなどに多くの拠点を持つ日本勢の進出は出遅れており、現地政府も日本企業の投資活性化に期待を寄せている。

 カンボジアは東南アジア諸国連合(ASEAN)の中でもトップクラスの経済成長を続けている。2005年に経済成長率13・4%を達成し07年見込みは9・5%、08年の見通しも8%と10%近い。情勢が安定したカンボジアは、中国やタイといったアジアの生産拠点で人件費や賃貸料が上昇しコスト競争力が失われていく中で、低廉な労働力を確保できる新たな投資先として注目を集めている。

 対カンボジアの06年国別投資額(認可ベース)は1位が韓国の約10億ドルで、2位の中国が約7億ドル。1994~07年の投資累計では1位がマレーシアの約21億9700万ドル、続く中国が約17億6100万ドルとなっている。

 一方、日本の06年投資額は約200万ドルの14位で、韓国の500分の1にすぎない。94年からの累計額も約1億3500万ドルと2位中国の13分の1だ。政府関係者は「日本企業の関心は最近高まっていて投資も増えているが、慎重なのかスピードが他国に比べ遅い」と指摘する。

 カンボジアは70年代のポル・ポト政権時代から内戦が続き、外資誘致など産業復興に注力する状況ではなかったが、98年の総選挙を機に政情が安定化。政府は、世界でも有数の遺跡のアンコールワットを呼び水に観光産業を育成したほか、繊維や鉱物、水力発電、資源エネルギーなど産業の多角化により経済成長を促進している。

 さらに、外資誘致では11カ所の経済特区を設置し通関手続きの簡素化や法人税免除などの優遇政策を展開し、外資の資金力と技術力を取り入れて産業のてこ入れを図っている。最低賃金は月45ドルと安く、政府関係者は「労働者は勤勉で、タイやマレーシアなど周辺国に拠点を持つ企業が進出しやすい」とカンボジア投資の魅力を強調。中国や韓国は政府支援を強化し民間企業の進出が加速している。

 ただ、インドシナ地域を横断する運輸インフラの東西回廊によって流通網が整備されつつあるものの、大手商社からは「インフラ整備がまだまだ必要」とカンボジア政府や日本の政府開発援助(ODA)による法制度も含めた事業環境の整備を求める声も強い。(坂本一之)

(引用)FujiSankei Business i. 2008/3/26  TrackBack( 0 )


日本企業が入ることで、クメール語を使える機会が増えるなら、個人的にうれしい。
留学生の人の活躍の場も広がるでしょう。
しかし、「投資」とは?
投資とは、どちらの国にもよい(美味しい)ことですか?
最終的にカンボジアにとっていいことにつながりますか?
大丈夫なんですか。
誰か意見をください。
わたしも専門家じゃないけど調べてみたい。

2008年3月26日水曜日

ちょっとした悲しみ、でも案外それは大きい This sorrow looks small, however ...

すっきりしません
いろいろなことが。

しけた顔で悲しい顔で、何かに取り組むのは好きじゃないです。
でも、ときどき、ものすごい無力感に襲われます。
わたしは何ができているかな?

カンボジアの友人、先生、そしてカンボジアをとりまく日本の人たち。
たくさんの知り合いができました。

でもわたしに何ができている?
わたしはすごく中途半端な人間です。
なんもできず漂流するさかなです。

きっとこれから先も結局わたしは外国人で。
よそ者?

どんなにクメール語がんばっても無理でしたか?
カンボジアの本もたくさん読んでいますよ。
知りたいから。
あなたは何を求めていましたか?
『あなたは外国人だから』
その言葉を聞いたとき、わたしの心は冷たく冷たく凍ってしまいました。
理解しあえない?
どんなに理解をしたくても?
まるで一方通行の恋愛!!!!
もしかしたら本当にそうなのかも。。

わたしは「認めて、くれくれ病」にかかっているだけなのかも。
わがままなんですね。

でもね、ただただ、心と心が通じるようなそんな思いをしたかっただけなのです。

たしかに知らないことだらけなのも本当です。
見てなかった、見えてなかったことたくさんです。
赤ちゃんです、まだまだ、まだまだ。

卒業 Graduation ច់បរៀនសាលាប៉ុន្ែត

というわけで卒業しました。
しかし、後1年続けようかと思い、まだカンボジアのところにいます。
苦しいでしょうけど、いい一年になると思います。

2008年3月24日月曜日

桜咲く季節 Sakura, coming soon រដូវផ្ការីក

今日、夜に、大学の窓から見えた桜の木はもうすぐにでも咲きそうでした。
休日だった20日は春分の日でした。
冬と春のさかいを過ぎたので、これからどんどん暖かくなっていきますよ。
桜とともに春がやってきます。

このブログを始めたわけ I started up this blog, because・・・

1、今やっていることにこだわらずカンボジアの様々なことに気楽にコメントしてみたかったから
2、『Motanapeap cia Kmae クメール・プライド』の日本語訳をまとめてみたかったから(これは半分終わりました、合っているかはわかりません、自己満足です♪)
3、知り合いがたくさんいるSNSで日記を書き続けることが面倒になったから
4、新しい空気、環境を求めているから
5、自分の今を記録しておきたかったから
6、日本にいるカンボジアの友達をもっと作りたいと思ったから I would like to have more Cambodian friends in Japan
7、クメール語の勉強を個人的にしたかったから  I want to continue to study Khmer, as my important hobby and work
etc

そぴあはもちろんH・Nです。
本名は別にあります。

でも、カンボジアでも日本でも通じるような名前がほしくてつけました。
まだいない自分の子供に名前をつけるような気持ちで選びました。

「そぴあ」、という名前。Sopiaと書きます。
日本語では音を楽しむ感じ、全部ひらがなですので、やわらかい響きです。
クメール語では、Sopeapのつもりです。「静か」という意味です。
実物は全く違うかもしれません。
喜怒哀楽の激しい人間です。

なんとなく今は覆面でこのブログを更新しています。
それは気楽でもあり、ちょっと寂しくもあります。

このブログどのように進んでいくのか、まだわかりません。
カンボジアのみにするかー。
日記も書いていくかー。
次の段階に進むための、仮の宿なのかもしれません。
でも、今までカンボジアからもらった、学んだたくさんのことをできるだけ書いておきます。

2008年3月23日日曜日

小旅行 箱根へ ដំេនីដល់ហាកូេន៉

21-22と大学院の友達8人と箱根に行きました。
真夜中まで飲み物とお菓子を抱えて、話しこみました。
2日目はよく晴れて行楽日和でした。
特別どこかに行けた訳じゃないけれど、修学旅行みたいでした。
こういうの久しぶり。

なんと明後日は卒業式です。

studying Khmer

Podcastを使っていますか。
わたしはこのネットラジオで、radio free asia in khmerとstudykhmerを聞いています。
(カンボジア以外の面白いものもたくさんありますよ。)

Radioーのほうは、ネイティブの発音に耳をならすために使っています。
最近のカンボジアでの時事ニュースをきくことができるので興味深いです。
でも政治の話が多いのかな?
一時間のプログラムはなかなか聞きごたえがありますが、ずっと聞いているのはつらい??
ニュース・ソースがわからないとつらい・・・。


studykhmerはFrank Smithという人が、クメール語でカンボジアのさまざまな人に突撃インタビューをしていくビデオ番組です。
挿絵画家やチャム、タイに住むクメールへのインタビュー等、すごく面白いです。
Smithさんのクメール語はものすごく聞き取りやすいです。
それは彼が外国人で、わたしも外国人だからでしょう。
Eng-Khmerか、Fre-Khmer。
Japa-Khmerも同じかな。
発音はお手本になりませんが(ものすごく外国人が話すクメール語です)、面白い試みだと思います。
でも、この番組には英語字幕が入っていません。
どういう人に向けた番組なのか気になります。

2008年3月18日火曜日

工場でのアルバイト

昨日、今日と工場勤務に行ってきました。
いわゆる派遣アルバイトです。
一日だけのお仕事ですから、給料が安いかわりに、仕事内容はとても簡単です。
会社に登録さえすれば、どんな人でも誰でも仕事ができます。

一日中、立ちっぱなしで工場の中で同じ作業をしていると、自分がまるで、人ではなく機械になったような気持ちになります。
何も考えなくても時間はすぎていくのです。
(でもそこで今やっていることの意味を考えてしまうのが人だと思います)

わたしは今までアルバイトをしていましたが、そのほとんどが家庭教師でした。
家庭教師のアルバイトも自分にとっては、生徒や親との問題、なかなか成績をあげられないなど、苦しいこともありました。
けれども、体を使って乗りきった2日間に比べれば、よっぽど簡単でらくちんでした。

工場でのアルバイトを経験して、今までこのような経験をさせることなく育ててくれた両親に本当に感謝しなきゃと思いました。

わたしは、この工場での仕事をやめようと思えば、やめられます。
家庭教師を含めて代わりの仕事がえられます。それは大学に行けたからです。

帰る場所があります。家と大学があります。
行く場所があります。大学とカンボジアがあります。

これらのたくさんの選択肢をくれたのは両親です。
わたしの両親がわたしに与えてくれた大きなプレゼントは「教育」だったのだと思います。

2008年3月17日月曜日

のど自慢 Nodojiman ច្រៀនការា៉អូេកនៅភ្នំុេពញ

2008年はJapan-Cambodia外交樹立 55周年の年だそうです。
55年なんて、中途半端だなあと思いますが。
5って縁起のいい数字なのですか?
それとも特に経済に関して日本とカンボジアは関係が深くなることを予想して、祝っておきたいのでしょうか。

CJCCでは、様々なプログラムを用意しているようです。

わたしはカラオケののど自慢(nodojiman)に出たかったのですが、残念ながら今は日本にいます。
候補リストに入っていた、KIROROの「長い間(nagai-aida)」のクメール語Verを歌いたかったのですが、youtubeで見つけられませんでした。

KIRORO NAGAIAIDA


誰か知っていたら教えてください。
次は60周年記念かな?

2008年3月16日日曜日

さようならSさん See you again, Mrs. S.

半年間研修に来ていたSさんがあと3日で、カンボジアに帰ってしまう。
彼女はもう子供がいる30代の女性である。
好奇心がおうせいな彼女は話をしていてとても楽しい人だ。
良い意味で、とっても普通な女性だ。
日本語もがんばって覚えていた。
今日は彼女の滞在する研修所で終了パーティが行われたのだが、急用が入って参加できなかった。
電話でお別れの言葉をのべた。

江戸東京博物館と上野のアメヤ横町に二人でいったのがとてもいい思い出だ。
人生について語ったのもすばらしい思い出になるだろう。
彼女が行きたがってイチゴ園にはとうとう連れていってあげられなかったのが唯一の心残りである。

Sさん、今度はシェムリアップで会いましょうね。
お庭のマンゴーたくさん食べさせてくださいね。

Bon voyage.

お元気で。
Som Aoy sei kdey sok(あっていますか?)

何のためのお誕生日会 Why do rich people prepare their birthday party?

ブログを書くことがまた好きになった。
今のところ、わたしのことを実際に知っている人はいないはず。
そんな安心感もあって、わくわくしながら毎回ブログを開いている。

hpさんのブログを介して、いろいろな人のブログを訪れるようになった。
興味をもったブログには、あいさつとともに、コメントも入れている。
知り合いを増やしたい、ともだちになりたい。
そんな季節。
いつかほんとうに出会える日を願って。
勝手にごめんなさい。
会えたらちゃんと名乗ります。

ブログのリンクをたどって、ブログをリンクたどって、そんなことを繰り返していくと面白いことに気づいた。
コミュニティは意外と狭いのだろう。
知り合い探しもかねて夢中になって見ていたら、けっこうつながりがわかってしまった。

一番驚いたのは、どうみてもお金持ちの人々が本当に限られた人数であることだ。
写真を見ればわかる。
人間関係が交差している。
お金持ちっぽい人と、どう見てもお金持ちの人は必ずつながっている。
これが現実なのか、と感じてしまった。
カンボジアで10代や20代くらいの学生でしかない彼女や彼らがそれぞれの誕生日パーティのために、レストランを借り切っている。
きれいなドレスやスーツを着て、屈託なく笑っているのを見ると、ああ、毎日本当に楽しいんだろうな、と思う。
その笑顔は、怖いほど、無邪気だ。
わたしは本当に怖いと思う。

もう20歳近い人たちの誕生会なんて、そんなにお金をかけることだろうか。
そんなにやりたいならケーキと笑顔で十分じゃない。
みんなでちょっとごはんを食べるとか。
なんでそんな風に無駄にお金を使うの?
そのお金はどこから出ているの?
もっと使うべきところはあるんじゃないの。
楽しいだけでいいの??
本当にいいの?
外はみないの?
自分だけが幸せでいいの?

お金がすべて?
コネがすべて?
不平等である。
怒りを感じた。
もっと国のことを考えて行動すべきなんじゃないかな。

日本から様々なNGOが現地に入って支援をしている。
留学生の人もがんばっている。
一方、着実に富裕層ができあがっていると思う。

近い未来、日本も格差社会になっていくが、
これはいくらなんでもひどすぎる
 
と、外国人のわたしは思った。

2008年3月15日土曜日

Khmer unicode for Macintosh

Really, i would like to read some blog in khmer.
And i hope to post my diary in khmer too.
However, I can not read and write all sentence , because My Macintosh computer doesn't have Khmer Unicode font.
I searched it over and over but I couldn't.
Maybe there is not Khmer unicode for Macintosh on the web.
If you know the information about this, please tell me by e-mail.

2008年3月13日木曜日

ありがとう、について about Japanese word " Arigatou"

ありがとう、という言葉について面白いことを知ったので書いておきたい。
I would like to write about Origine of japanese word " arigatou".


この、「ありがとう」は日本の中でもっとも利用される言葉の1つだ。
(「すみません」もしばしば同じような意味で使われる)

日本社会において生きるとしたら、この言葉を使わずに生きていくことはできないだろう。
逆に、適切に使うことができたならば、少し暮らしやすくなるに違いない。
If you can use this word more properly , I think you can live your life much better.

日本人は一般的に礼儀を重んじる民族とされる。
だから、例えば人に何かをしてもらったら、そのお礼の気持ちを胸に秘めずに、しっかりと言おう。
「ありがとう。」
と。
これだけで印象がずいぶん良くなるのは事実である。
言わないことは大変失礼なことにつながる。
それがどんなにささいなことだとしても。

このように、現在「ありがとう」を言う文化は日本にしっかり根付いたものだと言えるだろう。
しかしながら、この「ありがとう」という言葉は、実は外国からもたらされたらしい。
arigatou culture is common in japan.
However, this important word seem to have been come from foreign coutry.

さて、それはどこの国からやってきたのか?
Do you know " what coutry brought " arigatou " in Japan?

中国? china?
韓国? Korea?
インド? India?
それともアメリカ? USA?
カンボジア? Cambodia?


どれも不正解。
一説として、この言葉は、ポルトガルから500年ほど前にもたらされたのだという。

Unfotunately, all answer is not right.
some people says
"The Japanese useful word " Arigatou" came from Portugal 500 years ago."

So Obrigado(Portugal)→Arigatou(Japan)

I don't know it is true or not, because this news source is unidentified.
But this news is interesting and amazing.
As you know, this word is frequently used in Japan.

わたしは知りませんでした。
Of course I didn't know until now.

このことを知ったことで、わたしの頭の中に一つの疑問が生まれた。
「じゃあ、それまで、日本に住んでいる人は「ありがとう」という言葉の代わりに、なんと言っていたのだろう。」
ありがとう、という概念はいつ、どこで生まれたのか?
全ての人がそれを口にしていただろうか?

こういうことを考えると、日本人によって生み出された日本”特有”の文化なんて、実はそんなにないのではないか、と思う。

2008年3月12日水曜日

考えるより前に飛べ

My professer always said to me, 2 years ago.
" Don't stop your feet to afarid of the invisible future.
Move yourself on, thinking."

Can you understand what he wanted to say.
日本語では「考えるより前に飛べ」
です。
ぐだぐだ考える暇があるなら動きなさいと。

Oh my poor English.
This is my first trial in this blog.

Kreva アグレッシ部(agressive)

今日は俺が俺の味方

感謝の気持ち忘れずに
かつ
姿勢はアグレッシ部(agressive)!

Surely, some people know him already.
Kreva (the member of Kick The Kan Crew) is the most popular hip hop artist known to young Japanese people.
He had been the king of famous Japanese Hip hop battle for 3years (1999-2001).
We can feel his great talent because of his sound and lylics.
So please enjoy.

Usually, I don't listen to the hip hop music.
It sounds noisy to me.
However I can listen to the Kreva's songs , only.
They makes me cheer up very much.

2008年3月11日火曜日

最果てには。One opinion about economic development in cambodia

カンボジアの将来の「発展」を予測する情報をちらほらと聞くようになった。
日系企業も動きだしていると聞く。
プノンペンの経済特区開発。
アパレル企業の工場進出。
銀行のプノンペン支店進出。
パチンコ屋の新規事業などなど。
今後日本人がカンボジア語を勉強する新たな理由が生まれるだろう。

カンボジアの最新はめまぐるしく切り替わっているようだ。
わたしはこういった情報に疎いのだけれど、それでも聞こえてくる。
いいのか、悪いのか。
昔見たバンコクのビルと雑踏はわたしを不安にさせた。
カンボジアの風景と空気にどこか安らぎを覚えているのは日本人としてのエゴだろうか。
もちろんその後カンボジアのいいところもいやなところもわたしの心の中で次第にまざりあっていった。

たまに会う友人たちの顔つきが変わっていないかどうか不安になる。
たまに電話をするとその話に不安になる、
勝者の顔つきになっていてもいやだろう。
それでいてうつむいていたとしても嫌なのだ。
わがままである。
けれども。

状況がめまぐるしく変わる中で、変わらない何かをわたしはさがしている。

2008年3月10日月曜日

父親の顔

友人のカンボジア人男性Aに子供が生まれた。
来日していた奥さんは出産のため一足先にカンボジアに戻っていた。
彼もまた立ち会いのために出産の予定日の1週間前に帰国した。

赤ちゃんは無事に生まれ、向こうでしばらく育てられるようだ。
帰国した友人の携帯の待ち受け画像には赤ちゃんの寝顔が写っている。
写真を見ると、とっても可愛い女の子である。

友人はそれまであまり感情を表にださないような人だった。
だが、今は向こうに残してきた自分の赤ちゃんのことを思うと、気持ちが落ち着かないようだ。
携帯をながめては切ない顔をしている。
だが、家族が一人増え、自分がそれを養っていかなくてはならないとの責任感が彼の顔つきをしっかりしたものに変えていた。

そんな彼の様子を見てわたしはこういった。
「ーーーさん、父親の顔になりましたね。」(日本語で)
彼
「え、なんですか?」(日本語)
わたし
「だから、モク・アウプックになったってことですよ。」(一応全部クメール語で)
彼
「え?」(日本語)

この会話をしていたとき、周りにはあともう2人カンボジア人の友人(B,C)がいた。
そのうちの1人である女性Bが友人Aに対し、クメール語で
「今、なんていったの、彼女は?」
と聞いた。
在日歴の長いAは、日本人のわたしが言おうとしたことを察知したようで、まだ日本に来てから日の浅いBに対し、的確に説明をした。
そこでわたしはやっと気づいたのである。
ああ、日本語をそのままクメール語に訳しても通じないということを。

日本では、子供が生まれて、自分がもう子供ではなく人の親であるという意識が芽生えたようにみえる(ここではあくまで客観的)人に対し、
それぞれ
「(母親、ママ、お母さん)の顔になりましたね」
あるいは
「(父親、パパ、お父さん)の顔になりましたね」、と言うことがあります。
もちろん全ての人が使う訳ではないのですが、しばしば使われる言葉です。
(少なくともわたしにとっては使いなれた言葉です)
クメール語でこういう場合はなんと言えばよいのでしょう。
そのときは聞き忘れてしまいました。

時間

いまだ道決まらず!
自分と向かい合う時間がたりない?
逃げてるなー。
風よ吹いてくれ。
まよえる時間をもらえているだけよしとしよう。
己と向き合いたまえ。


今日のささやかな良いことは、春の風を感じたことです。
ようやく暖かくなってきました。
もう3月の中旬ですものね。
4月は桜が満開になるでしょう。
お花見をしたいなあ。
カンボジアのお正月もあと1月ですね。

2008年3月7日金曜日

誉れはクメール(クメールのプライド) Khmer pride



「アンコールの魅力は大変珍しく美しい
 これはクメールの作品
 だから保護するのにふさわしい
 クメールのプライドは希望を持つべきだ
 クメール、われわれはアンコールを建てた民族
 何をも超えたすばらしい仏法の団結がある
 忍耐の品行は尊い
 5つの尖塔には意味がある
 知性の頂点
 
 われわれは幸福だよ。
 すべての若人も、全ての老人もクメールの子として生まれてきた
 黄金の国土の上に、月の光をあびた田んぼのなかに全ての階級の人々がいる
 黄金の国土の、月の下で、残酷な戦争の後、兄弟は平和のおかげで生き残っている

 以下続く


 (てきとーです。訳のまちがいなどあれば、教えてください)
 
 

Alanis "ironic"

次の選択は自分のハート次第なんだな、

2008年3月5日水曜日

いよいよせまる決断のとき

実は、人にどう思われようとどうでもいい。

わたしにはわたしの生き方があると思うから。

20年後の人生を見つめるべきかな。
それとも今を楽しく丁寧に生きるべき?
わたしの心は変わらない。
カンボジアとともにあること。
わたしは日本人。
それでも何の因果かこんなところにいる。
死ぬまでカンボジアに関わることができたら大団円だ。

20年後をとったら今のわたしは息絶えるだろう。
心が死んでしまう。
それでもとるとしたらわたしの生き方ってなに?
誰に何にこの気持ちを、今のわたしをささげよう。
ああ、羽がついていたらどこへでも飛んでいけるね。
未来までみすえることができるかな。



プカー・スロポン(しおれた花)

初日記。

大学にて学部時代に投げ出した、プカー・スロポンを再び読む。
わたしはやっと人の心の機微がわかってきたのだろうか。
初めて面白いと思えた。
相変わらずクメール語をすらすら読めるわけではないが、前より物語の筋が体の中に入ってくる。
初めてよんだときはバッタンバンなんて地名も知らなかった。
ヒロインの流されるようなはかなすぎる生き方も気に食わなかった。
4年くらいたった今になって少しその気持ちがわかる。
なんてつまらない話だなんて思っていてごめんなさい。
自分の土壌があまりにも貧困すぎただけでしたね。
今文章を読むと、カンボジアの夜の空気とか、においとか、虫の鳴き声とか、思い出してしまって、ぞくぞくとしちゃいますよ。