「キリング・フィールド」のモデル死去 65歳
ディス・プラン氏
ニューヨーク(AP) 映画「キリング・フィールド」でカンボジア人助手のモデルとなったディス・プラン氏が30日朝、すい臓がんのためニュージャージー州の病院で亡くなった。65歳。同氏が働いていた米紙ニューヨーク・タイムズの元同僚が明らかにした。
プラン氏はカンボジア生まれのジャーナリスト。1975年、プノンペンに来ていたニューヨーク・タイムズ記者のシドニー・シャンバーグの通訳兼助手として働き、同記者とともにカンボジア内戦を取材した。
シャンバーグ記者はポル・ポト派によるプノンペン陥落の際、プラン氏の家族の脱出に尽力したが、プラン氏を残して立ち去るしかなかった。
しかし、プラン氏はポル・ポト派による大虐殺を生き延びて、2人は4年半後に再会。その後、プラン氏はニューヨーク・タイムズのカメラマンとして活躍した。
米国へ移住後は、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の親善大使を務めたり、ポル・ポト派による弾圧を受けた人々の支援団体を立ち上げた。
シャンバーグ記者は、プラン氏の体験を描いた「The Death and Life of Dith Pran」を雑誌に寄稿。この記事は1976年にピュリッツァー賞を受賞し、その後の著作「キリング・フィールド」の原点となった。
同書はローランド・ジョフィ監督、サム・ウォーターストン主演の映画「キリング・フィールド」となり、米アカデミー賞の7部門でノミネートされた。プラン氏を演じたカンボジア難民のハイン・S・ニョールが助演男優賞を受賞するなど、3部門で受賞した。
プラン氏のすい臓がんは、約3カ月前に判明。プラン氏の訃報を聞いたシャンバーグ氏は、「彼は、真実と人々のために戦う、本当の記者だった。がんが彼を襲ったとき、自分の人生のために、再び戦いに挑んだのだが」と、その死を悼んだ。
ずっとアメリカで暮らされていたんですね。外国人にとってなじみのある、カンボジアに関連する映画とは、まずこの『Killing field』なのではないでしょうか。
わたしは高校生のときに1回、大学生のときに1回、計2回くらい見ています。
この人の死によって、時代の区切りを感じます。
1 年前

3 件のコメント:
NHKニュースで知りました。
若いのに、惜しいです。
唯一知られれている証言者がまた一人居なくなる思いです。
大虐殺は事実でありますが、
そうなる背景はいまだに闇の中なので、かかわったひとたち(政治家、国)は、
責任逃れにますます好都合になるだろうなと頭に過ぎっています。
65歳は若いですよね。
おっしゃる通り、一部の偉い人にとっては都合のいい知らせでしょうね。
彼が残した遺言が若者に届くといいですね、
戦争の問題は国内でも、国外でもデリケートなことなので、証言者の存在の有無で、かなり違ってきますね。
これから証言をする人がいなくなるかわりに、さまざまな考え方を持ったひとたちがそれぞれ主張し始めます。
日本の戦争体験者も今どんどん亡くなっていますが、教科書では早くも近代の歴史が書き換えられていっています。
同じくNHKニュースでもみました。
40代より上の人にとってはおそらくポル・ポト時代はとてもよく知られています。
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