カンボジア留学中です。
喜怒哀楽の激しい自分ですが、カンボジアで
体験したことを素直に書こうと思います。
Don't stop, just go forward little by little

2008年7月31日木曜日

カンボジア総選挙 日本の報道

たいへん遅い情報で恐縮ですが
(自身の記憶のためにも記録しています)
日本の主要な新聞では、速報で2紙(朝日 Asahi、読売 Yomiuri)がとりあげていました。
(現在はもっと多く報道されていると思います)

特に朝日新聞は27日夕刊の一面のカラーでした。
大きな記事でしたよ。
紙面のときは、外務省の役人が村の人に選挙販促(反則??)グッズを笑顔で配っている写真でした。
(→まちがえました、これは京都新聞2面の記事でした。)
が、ネットに掲載されている現在は、フン・センさんの投票姿に変わっています。

読売新聞
ttp://www.yomiuri.co.jp/world/news/20080727-OYT1T00651.htm

朝日新聞
ttp://www.asahi.com/international/update/0728/TKY200807270206.html
(以後も更新記事あり。asahi.netをチェック)

私事ですが、以前、日本にいらした方が、フン・セン首相時計を持っていたのを見て、かなり驚いた記憶があります。
日本ではあまりそういうたぐいのものは出回っていません。
もちろん選挙を応援する事務所の方は作っているのでしょう。
しかしながらあんまりおおっぴらにやる(配る)と、不正とみなされ、あげた人ももらった人も公職選挙法という法律でさばかれてしまいます。
朝日新聞の記事でも言及されていましたが、カンボジアのお役人はたいへんですね。
実際の心の中では誰を支持しているのでしょうか?
苦しくはないのでしょうか?
心だけは自由がいいですね。
サム・レンシー支持の友人もいますが、やはりおおっぴらには言えないのでしょうか。

コンポン・チャムもまた政治的に重要な州だということを改めて認識しました。
いぜんこの州に行ったときに、首相の奥さんを招くイベントが大きく行われていました。
(チャム族の出身でしたよね、確か?)
この奥さんについて残念ながらあまり幸せな情報をきいたことがありません。

7月の行事まとめ

7月は本当にあっというまにすぎていった。
梅雨はいつ終わったのだろうか。
気づいたら蝉がそこら中で鳴き、生い茂った木々の緑は、青空と日差しによく映え、憎らしいほどみずみずしい。

さて、
7月は不思議に京都と縁のある月だった。
今後京都に住まない限り、二度とこの地にこれほど多く訪問することはないだろう。
わたしは関東に生まれ、育ってきた女だから。

京都にいる間に、カンボジアに関わる多くの発表を聞くことができた。
知らなかった話ばかりでとても興味深かった。
カンボジアのことを理解するにはまだまだ時間がかかりそうだ。
カンボジア人の先生との大切な出会いもあった。
今後も最大の敬意を払っておつきあいをさせていただければいいな、と思う。

今回の滞在では幸運なことに、日本3大祭りである「祇園祭り(ぎおんまつり)」に遭遇することができた。
大変な幸せだったように思う。
有名だけれど教科書でしか知らなかったお祭りを(たまたま)間近で見られたのは本当に感慨無量だ。

7月は人との出会いが多い月でもあった。
この経験を大切に次に進んでいきたい。

7月も終わり

7月も終わりだ。
大学のゼミも10 月までない。
アルバイトも9月までお休み。
予定通りカンボジアに行ってきます。

2008年7月27日日曜日

World heritage olympic

Now I am in Kyoto with my father for some works and sightseeing.
2 or 3 days have already passed.
Now here it is too hottest.
Because Kyoto city is surrounded by the many moutains, they provide Kyoto city from everything(wind, cloud, and so on).
So, in summer, it is hotter than other areas, and in winter it is colder,too.
Now especailly in the afternoon, we can't go outside, and decide to go to the coffee shop to escape from the sunshine.

However, although sometimes we face to this hard condition, I really enjoyed this summer trip.
Especially in summer i like to be on the shore of Kamo river(賀茂川).
Here is the place where every day people come and go for walking and playing in the water.
The cool wind come through on the water.

As you know, Kyoto city is known to the famous area which has world heritage.
There are more than 2000 temples and shrine.
Foreigner from many countries come here.
I think Getting the name of the World heritage is like a " gold medal " of the sightseeing olympics.

This time I have to say to Phreah Vihear " Congratulations".
It is good for Cambodian people and the big party.
However the problem around this old place still continues.
It may be none of my business to say anything to Cambodian and Thai people.
But I wish Cambodia and Thai land have rational discussion except the emotional conversation.

説明できますか?

自分がそれをする理由を人に説明することができますか?

習慣になっていればいるほど、他人にその必要性を説明しづらい気がする。


たとえば、なぜ新聞を読むのか、もしくは読んだほうがいいのか?

わたしはほぼ毎日欠かさず新聞を読む。
朝刊も夕刊も目を通す。
小学生のころからだからもう10年以上続いている。
だからもはや情報収集のために読むというより、もう歯をみがいたり顔を洗ったりするのとおなじだ。
読まないと落ち着かなく、気持ち悪い。
習慣となっている。

新聞を読むことについては、恩恵(メリット)もあると思っている。
1.
自分自身の問題。
いまは現世では絶対に収入にならないような研究が生活の中心にあるけれど、いちおう心を安定させられている。
それは新聞などで新しい情報を手に入れられているからだと思う。
新しいものとふるいものと自分の頭の中でいちおうバランスがとれている。

2.
コミュニケーションの材料。
情報を知ることで、会話のねたも増える。
年代を問わず話ができるのは、大事なことだと思う。

3.
教養と生きるための知恵として。
ヘタな情報に踊らされないようになれる???

考えればもっといっぱいあるはずだ。
でも目に見えるような成果をわたしは説明することができない。


日本の大人は子供に新聞を読みなさい、としばしばいう。
それは日本の受験勉強の科目と関係があるからだ。
国語の論文や社会のテストでは、「時事問題」といって、日本の社会情勢についての一問一答の問題や、自身の意見を問うものがだされる。
新聞を読んでいれば、生の情報を手に入れられるため、有利である。
そのため、大人は子供に新聞を読むようにというわけだ。
実に成果がはっきりと示しやすいしっかりした理由である。

そんなことのために新聞を読むなんてむなしいし、意味がない、とわたしは思うのだけれど。
人に説明しやすいのは確実に後者(受験勉強)だろう。


*********************

家庭教師をしていたときに、生徒たちにしばしば尋ねられた。

「なぜ本を読むのか?」
「なぜ勉強をするのか?」

わたしには不思議でしょうがない質問だ。
考えたこともない。
恵まれた人ならではの質問のようにも思える。

わたしはこの質問に適切に答えを返せたことはない。
受験勉強のため、とも言ってみたが自分がそう思っていないから何やらうそ臭かった。
かといって、教養のため、将来のため、といっても目に見えないことに生徒たちは納得してくれない。
それからずっと考え続けている。
なぜ、それをするのかを。


わたしは自分の教養のために、本を読むし、勉強をする。
それでお金が稼げるとは思っていないからこそ、のびのびとやれる。
人と人との関係は深くつっこみすぎるとたまに痛い目にあうし苦痛なときもある。
でも、本や勉強は大きく腕を広げてわたしを包み込んでくれるような気がする。
幸せになれる。
だから、本も読む。勉強もする。


(個人的に実利のみを求め何かをすることは好きじゃない。)
(そればかりでは美しくないし、スマートではないように思える。)
(目にみえないものを大切にしたい。)
(教養は体の中にしまいこまれるもの、人に押し付けたらもうそれは教養ではないようにもおもう。)
(これを言っていること自体がナンセンスだというのはわかっているけれど。)
(知識ははかなげに匂いたつようなくらいでちょうどよいのではないか。)

2008年7月26日土曜日

継続は力なるか

ちょっと前にyahoo japanにあるニュースが流れた。
ある中堅不動産会社の民事再生法申請を伝えるものだった。
民事再生法=倒産?かはわからないけれど、限りなくそれに近い匂いがする。
少なくとも景気のいいニュースではない。

イニシャルZの会社、日本で最大手とはいえないだろう。
わたしがこの会社の名前を知っていたのは、カンボジアの開発にかかわっていたからだ。
経済特区を作ろうとして、日本人駐在員を長らく募集していた。
何気なく目にしたその名前はいつのまにか脳裏に焼きついていたのだった。

経済特区の話はもう何年も口にされていたが、実際に開発は順調になされていたのだろうか?
そのあたりについては、わたしは知らない。
だが、日本人駐在員募集の広告は、本当に募集する気があるのかしら、と首をかしげたくなるぐらい、情報がとぼしいものであったことを記しておきたい。
この先はどうするのだろうか?
Zの会社のサイトでその情報を知ることはできなかった。

ついでに韓国資本の42階建てゴールデン・タワーも颯爽と登場したものの、最近は工事が滞っていると知り合いから聞いた。

最初はすべてが真新しい。
新鮮で華々しく、格好の良いスタートが待っている。
ひとびとの注目も集める。
でも、続けていくということは、けっこう泥臭いものであり、平坦な道ではないのかもしれない。
評価されないときもある。
覚えの無い批判を受けることさえあるだろう。

継続は力なるか?
それは当事者と相手との関係性で決まっていく?
続けていくことがいちばん難しい。

しかしながら今回は当事者の自滅(ひどい言葉かもしれない)で幕を閉じてしまいそう。
残念だな。

2008年7月12日土曜日

ありがとう、なんちゃって

雷の音が轟く。
雨が急にざあざあと降り出した。
いよいよ夏が近づいてくる。
梅雨は夏の使者にとってかわられた。
7月も半ばです。


日本人は、ありがとう、という言葉がすきだ。
というよりも、何かを相手にしてもらってそれに対して即座にありがとうとお礼をする様式を愛していると思う。
自分もそうするから無意識に相手にもそれを求めている。
言わない人は無作法者だと考えられてしまう。

クメール語では、ありがとうはひとまず、オークンと訳される。
カンボジアにかかわる日本人もまずこの言葉を覚えていくのではないだろうか。
覚えやすい言の葉、オークン。

カンボジアで、オークンというと、怪訝な顔をされるときがあった。
どんな些細なことにも、いちいち笑顔でオークンと言っていたから。
もっと大きなことについては、オークン・チュラウンといった。
むこうの友達はあんまり言わないなあなんて思いながら。
それはそれでしようがないな、でも、こっちのほうがいいはずと思っていた。

しかしながら、最近ある本を読んでうならされた。
筆者も日本人で、わたしと同じようなことを考え、外国の友達に、ありがとう、と言い続けていた。
一方で外国の友達(カンボジアではない)は、筆者に何かをしてもらってもけっしてありがとう、とは言わない。
筆者はそんな状況にいらいらして、とうとうその友達に尋ねたようだ。
「なぜ君はありがとう、と言わないのだ?」と。
友達は答えた。
「わたしたちはその言葉を使わない。けれどもやってくれたことへの感謝の念はずっと心の中に残っているのだ。」と。
筆者ははっとした。
「日本人は確かに、ありがとうという言葉をたくさん使うけれど、それによって恩をある程度消しているのではないか。」と。
わたしもその考えにどきりとした。

カンボジアの友達が言っていたことを思い出す。
「今日はKさんが僕たちにごはんをおごってくれた。いつかKさんがお金がないときに、今度は僕たちが助けるんだよ。」
彼もまたそのときオークンとは言わなかった。
だが、恩を感じていないわけではない。
日本人だったら、ありがとう、といって半分くらい恩は流しているかも(お礼をするにしても)。
そのとき感じた違和感にわたしはようやく合点がいった。

たすけあい。
この感覚、今の日本人にけっこう忘れられているのではないか。
ありがとう、という言葉は今の日本での生活での人との関係を確かに円滑にする。
表面的に。
しかしながら、その後の面倒な人間関係を、ありがとう、という言葉である程度切り捨てているのかもしれない。

そして、自分が正しいと信じて疑わなかった傲慢な気持ちに赤面してしまった。
わたしはきっと様々なことを教えられている。
しかし、石頭だから本当に気づかない!!!

2008年7月11日金曜日

Khmer unicode for Macintosh 脱落と導入

Khmer unicode for Macintosh最終編です。
なんの解決にもなっていません。
とうとうあきらめの悪いわたしも脱落しました。
だって物理的に無理なのがようやくわかったのです。
悲しいことに、Macユーザーには現在Khmer Unicodeをフリーで利用する手段はなさそうです。
まあ、こんな簡単なこと前からわかっていたことなのですが。
わたしが、それを納得するまでには嘘のような無駄な時間がかかりました。
もうありとあらゆる手段を使って試しましたが、最後までは到達しませんでした。
(くわしくはwith Macのカテゴリをお読みください)
ここまでやれば自分も納得です!
後悔はしてませんよ!

他の用事でクメール語を使いたかったのでxenotypeのクメール語を購入するか、まよっていました。
フォントを購入するなんて、もったいないかなあ(もったいない)と思ったのです。
(クメール語を使いこなせていないので)

しかしながら最近
解決しようとする努力と時間>購入するお金
に完全になっていたので、面倒になって買ってしまいました。
インストールしたらあっさりクメール語が書けるようになりました。
楽々です。
ただし、web上のみです。
ブログでクメール語利用が可能になります。

ただ大きな欠点があります。
一番使いたかったワードでは、脚がくみあわさらないのです。
力がぬけました〜。
文書が書けないと意味がな〜い。
当分ちょっと不自由は続きそうですね。
そんなこんなで報告でした。
お気をつけくださいませ。

早くソフトが開発か改良されてほしいなあ。

2008年7月10日木曜日

コップ一杯の水 ​ទីកមូយកែវ

七月もなんと三分の一がすぎましたー!
はやい。
梅雨もいつのまにか夏の暑さと切り替わっちゃいましたね。
学会で関西に行っていましたが、東京よりも確実に気温が高くてむし暑かったです。
昼間なんて出歩けません。
発表のほうもなんとか終わりました。
いろいろな人に会えただけでも十分有意義な時間でした。。。
やってよかったし、行ってよかった。
何事も学べます。

誰しもがコップ一杯の水をもっています。
そのコップをどの器に、どのくらいの量入れるかはそれぞれの自由です。
先週のわたしは勉強のほうに1、あとはゼロでした。
そんな毎日だけだと疲れてしまうから徐々に他の器にも水を移していきます。
ブログもちょっとずつ更新していきたいです。